ぺトリコール

 

 

 

『わたしはあなたが好き』という目に見えない曖昧なきもちの輪郭をなぞって掴む、というのはとても難しい作業だなあ、と思う。けれどその世界一難解でぐにゃぐにゃに捻れてしまうことの多いそのきもちを伝える術はどうやらこの世にたくさんあるらしい、と気づいたのは、わたしの世界に元木湧さんが現れた日がはじまりだった。わたしの世界に、みるみるうちに色がついた。

 

 

 

湧ちゃんを沢山テレビで見るようになってから、色んな人に湧ちゃんのどこが好きなの?とよく聞かれるようになった。特にこの1年は多かったなあと思う。

どこが好き…って、考えるけど、簡潔に表す言葉がいつも見つからない。アイドルの道を全うする覚悟が好きだし、その場をパーッと明るくする太陽みたいな輝きが好きだし、自分らしさを忘れない真っ直ぐさが好きだし、夢を語り実現していくその強さが好きだし、仕事への真摯さが好きだし、直視できないほどの眩しさが好きだし、柔らかく暖かく心に光を宿してくれるような言葉が好き。人との距離の取り方の器用さが好きだ。どこにいてもわかるような突き抜けるような声が好きだし、ステージに立ったときのまっすぐに未来を見据えるような瞳も特別。ファンのことを考えてくれて、見つめてくれて、一緒に行こうね!って手を取ってくれるような優しさが好き。 それでいて、自分のやりたいこと、楽しいことを実現することを諦めないでいてくれるところも好きだ。

 

こんなところが好きなの!ってこんなところが素敵なの!ってもっともっと聡明で的確な言葉で表したいけれど、結局うまく出てこなくてもどかしい。

きっとこの好きは簡単じゃなくて、尊敬とか憧れとか慈しみとかそういう色んな気持ちがごちゃごちゃになってて、考えれば考えるほど難しくなる。でも結局“好き”って言葉を心の中で呟く度に、その言葉に特別な要素がぎゅっと集まって詰まっているんだろうなあと思う。好き。湧ちゃんのそういう可愛くて愛おしくて逞しくて眩しいところが好き。湧ちゃんが好き。

 

あげればキリがないくらい、わたしは湧ちゃんのことが、ほんとうに毎日毎日、飽きれるくらい、すきなのだ。泣きたいくらい、すき。

 

そんなわたしが世界一だいすきなひとが今日、20歳になった。

 

元木湧くん、20歳のお誕生日おめでとうございます。またひとつ、湧ちゃんとの歳の差が遠くなってしまいました。

 

 

一つ年をとるということは、山頂に届いた時に自分の歩いてきた道を眺めている気分と似ていると思う。19歳の1年間、あなたがたくさんたくさん笑ってくれていたから、わたしはほんとうに嬉しかった。あなたは痛みを伴っても、変わらない為に変わり続けた。ちょっと憎んで呪ってしまってた、時間やしがらみを、あなたの笑顔はすべて水に流して許してくれた。素晴らしく美しい日々をくれた。

寂しくて心細くて何度も心がめげてしまった一年だったけど、それでも前を向けたのは、湧ちゃんがいつでもわたしの光であり続けてくれたからです。湧ちゃんの写真をお守りにして就活に励んだり、疲れて帰宅した時にテレビから湧ちゃんの声が聞こえて思わず笑ってしまったり、そういう瞬間が、アイドルを好きでいてよかったなって思える瞬間が沢山あった一年だったなあ。寂しくない、は嘘になってしまうけど、湧ちゃんがこれでもかと光って、目にとまる輝きで、今までよりももっと“そこ”にいてくれたから、特別な瞬間が沢山あったよ。

 

これからも湧ちゃんが見せたいもの、やりたいこと、嬉しいこと、幸せを感じること、そういうもののうちの幾つかが、少年忍者として、アイドルとして仕事をする自分自身の姿に綺麗にぴったりと重なってくれていたら嬉しい。好きになったのはそもそもこっちの勝手で、応援してることだってこっちの勝手なのに、オタクってなんて一方的で無力でそれなのに身勝手なんだろうって思うことも多々あるけど、私が傾けた愛情や心情の揺らぎのどこかに、湧ちゃん自身の幸福が交わってくれていたら、本当にもうそれだけでいい。虚像を愛しているってわかってるくせに厚かましいことだけど、生身の人間としての幸福にもほんの少しだけでいいから作用していたかったのは、私がたった1つだけ見た「夢」の話です。

 

 

19歳の湧ちゃん、沢山沢山ありがとう。毎日を明るくしてくれてありがとう。今日もまた、湧ちゃんのことが好きでよかったって思う。どれだけ言っても足りないけど、湧ちゃんが好きです。

 

 

あなたが好き、という気持ちを伝える術はこの世の中に数あれど、わたしは未だに彼を見ると自分のなかでうまく気持ちに整理をつけて表現することが出来なくなる。ただただ泣きたくなってしまって、泣き笑いのぐちゃぐちゃな顔をして、やっとの想いで生み出す言葉のそれが、もう100万回は呟いた『好き』の二文字になってしまう。

 

わたしはこれからもずっと、彼に夢を見るのだ。彼を道標にして、終わりの見えない夜間飛行の旅を続ける。永遠に埋まることのないわたしとあなたの歳の差が、近づき離れる度に嬉しくって微笑む。はち切れんばかりの想いが胸を満たして、またいつものように泣きながら笑って零すのだ。何度目か分からない溜息とともに、『すきだ』と。

 

どうか20歳の1年もあなたが『しあわせだ』と言葉にすることの出来る日が多くありますように。あなたに聴こえる声のすべてが、美しく楽しい歓声でありますように。季節の移ろいを、肌で感じてにっこり笑えますように。星座盤のごとく輝く瞳が、もっときらきら輝きますように。

 

 

湧ちゃんのどこが好きなの?の答えを簡潔に言える日はきっとこないし、見せてくれる景色の、表情の、その美しさをほんの少しだって上手に言葉にできないけれど、好きの気持ちを大事にしながら、こんなにも湧ちゃんって素敵なんだよ!って言っていたい。好き!って言っていたい。 

 

お誕生日おめでとう!20歳の湧ちゃん。

湧ちゃんのかわいさが、格好良さが、明るさが、愛が、沢山の人に伝わりますように。

 

 

あしたからの1年も、湧ちゃんに優しい陽がのぼる1年でありますように。

湧ちゃん、だいすき!

 

2021.11.26

 

 

 

don't let the world change you

 

 

 

少年忍者結成3周年おめでとう!!!いつも元気いっぱいの笑顔で幸せをくれてありがとう!!!忍者のみんながひとつひとつ夢を叶えていくのを応援するのめちゃくちゃたのしいし幸せだよ!2年目はそんな毎日の幸せと同時に、自分の中で様々な感情と向き合って、何度も大事な気持ちを見つめ直すことができた一年でもあったと思う。

好きだと思い続けたら、愛を届け続けたら、それが届かなくても動かなくても自分の中での対アイドルへのファンという感情の有限は保たれるということに改めて気づかされた。どんなことも難しく難しく考えてしまって、自分の中で好きな人への好きのベクトルが下手に曲がらないようにしたいと思えた。少年忍者のことが好きだから、22人が好きだから、わたしはどんなときにも彼らのひとつひとつの決断の強さに対して、全てを分かったようなことを言ってはいけないなと思ったときもあった。どれほどの時間がかかってもアイドル自身の内面を推し量ることはできないから、大切に届けてくれるものを全力で見つめていたいと思った。1つの終着点が見えてから初めて気づくような思い出や感情なんて欲しくないと思っているけれど、22人にあまりに救われていることに気づいた。

私は、少年忍者に出会えて人生がとても輝いているということは何があっても変わらないから、語彙力に乏しくて月並みな言葉を並べることしかできないけど、大好きだというその気持ちを、自分が自分のためにずっと大事にしたいと思った。

 

 

自分対好きなアイドルの中に取り巻く感情は人それぞれでどれも間違っていないからこそ、わたしはわたしの受け取った考えや想いや愛を自分が幸せになるために大事に持っておきたい。可哀想でも過酷でもない わたしが好きな人を見て、元気で、幸せでいられる人生を。あなたたちに会ってわたしの人生は、楽しく、美しく、輝けるものになりましたと自信を持って言えるからこそ、アイドルから受け取った輝きや気持ちを、ずっとずっと大切にしていたいと今、思っています。

 

 

 

 

 

改めて、少年忍者結成3周年おめでとう!

これからもずっと!💍

他に好きなものがあることは悪ですか

 

『推し、燃ゆ』を読んだ。

 

 

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。そんな書き出しで始まる小説だ。芥川賞にノミネートされたことでこの作品を知った私は、タイトルを知ってまず初めに、読まなきゃなぁと思った。読みたい、よりも先に読まなきゃ、という感情が浮かんだのは、私が拗らせたオタクの文章を読むのが好きだからで、そして同時に〝そこ〟までは至れない自分を知っているからだ。不健全な憧れを抱いていると思う。

 

私には自担・推しと呼べる存在が複数人いる。そして私は、主人公のあかりと同じく、彼らを〝解釈〟することをオタクとしてのスタンスとしていた。

本当は、生身の人間を解釈したところで、その人の本質を知ることなんてできないと知っている。わかっていながら、提示されたものを咀嚼して考えを巡らすことが私にとって何よりも幸福な時間で、ずっとそうして生きてきた。

あかりは、推しである上野真幸のあらゆる発言を書き止め、ファイルに分けて整理し、彼の思考を読み解く。あかりは、膨大なデータを根拠として、彼なら今からこう言うだろうなと予測し、実際にその通りになる。私もイベントの質疑応答コーナーで推しの答えを頭の中で予想し、その理由まで含めて当てみせたことが何度かある。そういう時は決まって心の中でガッツポーズをする。あかりにとってはもはや当然のことが、私にとっては喜びだった。

 

 

私は、いくつかの軸に支えられる生活を、もう何年も続けている。

自担が出演した映画やドラマ、バラエティ、そしてコンサートの映像を何度も観て、雑誌のインタビューを読み込んで、ラジオを聴いた。正しくあることを望む私はたった一つのファンクラブ名義を握りしめて、年に一度のコンサートを思い切り楽しんだ。

提示されたものから解釈を重ねることを絶対とする私は、週刊誌の記事だとか、噂話だとか、そういうものが嫌いだった。彼らが見せようと思って見せてくれるものだけを受け取りたくて、周囲に不穏な話が流れ始めると私は決まって別のひとのことを考えて、ほとぼりが冷めるのを待つ。そうやって上手い具合に、楽しく生きてきた。

私は依存対象を分散させることでバランスを保つタイプで、自分が〝そう〟であることをどこかで誇っていたように思う。情報の取捨選択ができること、精神的に健やかな状態を自らの意思で保てること。それが賢いオタクだと思っていたし、実際、今もそう信じている。けれど同時に、たった一人を絶対的な存在として崇めて、のめり込む人のことを、私は確かに羨んでいた。生活の一切を彼に捧げて、彼のことだけを考えている人が綴る文章の、痛いくらいの眩しさと切実さに憧れた。私は、どれだけかかっても彼女たちが見ている景色を知ることはできない。

きっと、自担も推しも、そんなことは望んでいないだろう。彼らは、応援する人の活力となることを望み、それ以上の重みを預けられることを良しとしない。正しくて、健全で、綺麗な在り方だと思う。そして、それだから彼らのことが好きだ(もっとも、これも提示されたものを拾い上げて解釈した結果の、私の予測に過ぎないのだけれど)。

 

 

 

ここ一年でよく「一途じゃない人は他に逃げ場がある」「他で満たされるだろう」「掛け持ちしている人には気持ちがわからない」という言葉を目にするようになった。「グループ内掛け持ちの方は苦手意識があるのでUターンお願いします」と書いてあるツイプロもいくつか見た。その度に、違うところに好きなものがあるということは、その対象ひとつを真っ直ぐにみている人からすると悪なのだと思うようになった。そして、わたしの中にある“好き”の気持ちは、所詮SNSを通してでしか測られていないのだと思い知らされた。SNSを介してでしか繋がっていない人のことを知るためのツールなんてSNSでしか無いのは百も承知なので、そんなことは必然なのかもしれないが、自分の中だけに大切にしまい込んだ、言葉にしなかった心の奥底にある好きの気持ちは想像されないのだろうと思った。そのことを痛感してどこか怖くなった。私がただただ私の好きの証明のように呟いた言葉が誰かの目に止まり、それが熱量の判断材料になるのかもしれない。そして、新たな好きを露呈したら、それが逃げだと思われるのかもしれない。そんな考えを持ちながら、この一年はなんとも言えない気持ちを巡らせていた。

 

 

いつだったかな、掛け持ち先の垢で、なんとなく気になるアイドルができたと呟いたら、切り替え早くて良いですね、羨ましいです、というマシュマロをもらった。文字通り、めちゃくちゃに、煽られている。一瞬どきりとして、そうだよなぁと思いつつ、単に好きの対象を移行させたわけではないんだけどな、と返そうとしたけれど、マシュマロの返信に許されたたったの100字では恐らく何も伝えられないし、そのためにツイートを連投してタイムラインを埋めるのも忍びなくて、やめた。

実際、そう捉えられてもおかしくないのだろうと思う。私が何を考えて何を追い求めているかなんて、見せなければ誰も知らない。わかってもらえないことを嘆いたところで仕方のない話だった。だけど一つだけ言いたいのは、その“好き”は、決してなにかの代わりでは無い。全て自分を作り上げている大切なピースの1つだ。代わりになることは絶対にない。逃げ道ではない。どっちの方が大事とか、この人の方が好きとか、そういうんじゃないんだよ。大切なものが、守りたいものが、心の中の別の引き出しに1つ多いだけなのだから。

 

どんなことを思い、どんなことを感じ、どんなところが好きか。それを言葉にして並べていても、それがその人の全てではないというところまで想像力を持たなければならない。「好き」はもっともっと深く、言葉にできないところにあって正解なのだから。

 

ここまで書いていて勘違いされたくは無いので綴っておくと、一途に思っている人が、違うところに好きがある人のことを遠ざけることは何にも悪く無い。全て感じたことは正解だと思う。複雑な感情が生まれることは当たり前で、それは全部その人の中にある正しさだから。自分を守る行為だから。でも、いやだからこそ。同じように。どうか、どうか、自分の好きは自分で守り続けよう。君の好きは君を強くする大切なものだ。誰かから刃を向けられることがあろうとも、自分の好きは自分が大事にしているのだと堂々とした顔で立とう。好きなものがあるということは素晴らしいことだと唱えよう。何かに一筋である人。真っ直ぐに好きでいられることは凄く凄く素敵だ。あなたの持つ愛を全て注げる場所があるということは素晴らしいことだと思う。沢山好きなものがある人。自分の好きに素直でいられるその感性は尊くて素敵なものだ。好きの範囲を決めずに、どんどんと宝箱を増やしていこう。

 

正解なんてきっとないから。ひとつでも多く、彼らの言葉を真正面から受け止めて、感じた心の輝きを言葉にして、このネットの海の中にある特別な名前がついた、“私だけの”宝箱に入れよう。見返しては、「私の好きはちゃんとここにある」と思うために。好きは決して悪にはならないから。そして一ヶ月後、一年後、今日この瞬間にここにいてくれる私の“好き”を、自分自身の手で肯定できるように。この先も望むのは、大切な人がただただ生き続けてくれることと、それを見て「この世界は最高だなあ」と笑うことだから。ただそれだけだから。

 

 

 

相変わらず私の日常には好きの対象が数多ある。たった一人の誰かを背骨にして生きていく、そのことが私にはどうにも難しい。〝彼〟がくれるものだけを拠り所にはできなくて、〝彼ら〟がそれぞれにくれるものを欲張りに食べていたいと思ってしまう。それが私にとっての満ち足りた栄養で、幸福だった。

 


あかりが綴った感覚と同質のものを、私は異なる濃度で知っている。〝そこ〟には至れない。至れない自分を、そっと、確かに、肯定していたい。

 

 

 

「好き」で始まって「好き」で終わる

 

ついこの前、くろだくんの誕生日の事を考えながら、自分宛にブローチを買った。それを見たらこの先16歳の時のくろだくんを思い出せる気がして、なんとなく買った。美しいマーガレットの造花が入った、素敵なブローチ。以前からそのブランドのものが憧れで、可愛いなあ、素敵だなあと思いながら眺めていたのだが、今回その新作が発表された瞬間、思わずこれだ!と思ったのだ。

 

マーガレットは「誠実」のシンボルの花らしい。そう知ってからよりこの花が好きになった。誠実なくろだくんを思い出す花。素敵だ。くろだくんにぴったり。

 

このブローチに惹かれたのはそれだけじゃない。ハッとするくらい素敵な言葉が添えられていたのだ。

 

「花びらを一枚一枚ちぎり、「好き」「嫌い」と恋の行方を占うお花でお馴染みのマーガレット。実はこの花占いには素敵な秘密が隠されていた。マーガレットの花びらの枚数は奇数なので「好き」で始まれば「好き」で終わるのだ。」
 

「世界がどんな風に変わっても、時代がどんな風に進んでも、私たちは飽きもせず同じものを愛して、同じことを続けていたい。」

 

この言葉を見たときに、出会ってしまったと思ったのだ。「好き」で始まって「好き」で終わる。そして、どんなに世界が動いても、愛せるものを変わらずに愛していたい。そんな想いが詰まったこのブローチは、自分自身が肯定したかった気持ちそのもので、愛おしくて眩しくて特別なものに見えた。

 

 

以前、くろだくんは変わらない、と呟いたことがある。でも実際は変わらない人なんていないし、変わらないことを示す基準なんてない。私が勝手に持っている「彼は変わらない」という感情に正当性を持たせようとしているだけなのかもしれない。変わらないことも変わることもどちらも尊いくらいに美しいことなのに、私は私の中で勝手に作り上げたアイドルを守るために「変わらない」と思いたかったのかもしれない。そうなんだけど。でもやっぱり彼を見ていると変わらないなと思ってしまう。変わらない。 その“変わらない”は、一定の温度でいてくれること、そして根底の部分がいつもぶれなかったことなのだと思う。飾り気のないナチュラルさ、一貫したアイドル論、常にステージの上で完璧でいようとする姿勢、感性がキラリと光る言葉、愛を向けることに誠実で、同時に愛を向けられることにはどこか慣れないでいるところ。そんなところなのだと思う。

 

 

 

 

 

ちゃんとステージの上には変わらない、アイドル黒田光輝という本物があるんだよ、進み続けてくれるんだよ、悔しいも嬉しいも共有してくれるんだよ、だからこそ私は好きだという感情を現在進行形で抱き続けていられるんだろうなあなんて思う。

 

 

 

 

ステージに立つと光が集まって輝いていく。目を細めて柔らかく笑う。その周りを光が飛び散る。美しくてもはや愛としか形容できない。愛だよ。そして世界は素晴らしいことばかりじゃないけど、それでもなんだか大丈夫だよねって思ってしまうくらいのあたたかさがある。そんな特別で唯一無二でそして変わらない姿が、涙が出るほど綺麗で、胸を締め付ける。変わらない。変わらないもの。ステージの上でいつだって光るもの。

 

 

 

 

過去を振り返ってはあの時は楽しかったな、よかったな、と思ってしまうのは人間だから仕方がないことだけど、それでもその時に戻りたいと思わないのは、彼が一定の温度でいてくれること、軸がぶれないでいつも誠実でいてくれるところ、そんな“変わらない”ものがあったからなのかな、なんて、11/29のIslandFESを観てそんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

やっぱり私はそんな彼が一等好きで、泣きたくなる。泣きたくなるほど好きなのだ。

どんなに駄目な日があっても、苦しい日があっても、くろだくんは変わらずそこにいてくれる。私がどれだけ失敗したとしても、世界が変わったとしても、変わらない温度でそこにいてくれる。そのことに何度救われてきたのだろう。

嬉しいとか尊敬とか悔しいとかそういう何重にも積み重ねてきた感情の重さがあって、勝手に自分の気持ちを乗せて受け取ったりアイドルを消費していることに対して罪悪感を覚えたり、そういう一筋縄ではいかない感情が沢山あるけど。結局全部大切で、全部の感情でくろだくんが好きだという気持ちを構成しているのだと思う。

 

 

 

 

この一年は途轍もないスピードで進んで行ってしまって、思うようにいかないことが沢山あって、世界は目まぐるしく変わってしまったけれど、そんな中で見つめていた16歳のくろだくんは、やっぱり変わらないくろだくんそのもので、もうこの記憶のまま終わらせたいななんて思ってしまうくらいに特別で、誰にも代えられない最高のアイドルだった。

 

ついこの間ブローチが届いて開いて見たら、もう胸がいっぱいになる程可愛くて泣けた。そして私は私で募るような祈るような手に負えないほど大きくなってしまったこの好きの気持ちを大事にしようとできたんだってことを痛感して泣けた。16歳のくろだくんが好きだった私がそこにいる気がして、この一年のことが走馬灯のように駆け巡って泣けた。どれだけ世界が変わっても、くろだくんは変わらないでそこにいてくれることが、それに対して変わらない好きの気持ちを大事にできたことが、ひどく嬉しくて泣けた。「好き」で始まって「好き」で終わる、そんな想いが詰まったものを見て、なんの根拠もないけれど、この気持ちは大丈夫だと思った。

人間だから寂しいとか苦しいとかそんな想いはゼロではなくて、意図してなくてもどこかで浮かんできてしまうし、好きだって有限のものなのはわかっているんだけど、それでも大丈夫だと思ったのだ。

 

私は常々好きは自分でしか守れないと思っている。その人が大切にしているものがどれほど大切かなんて想像はできても全てを知ることはできない。誰かに守ってもらうものでも理解してもらうものでもなくて、自分の中にあればいいもの。その人にしか守れないものが好きの気持ちなのだ。そっと心の中に抱いているもの。だから、私は思う存分守っていきたい。16歳のくろだくんの特別な輝きを。くろだくんが好きだった気持ちを。ずっとずっと変わることのない、この気持ちを。

 

マーガレットのブローチをつけて出かける。背伸びをして、高層ビルを見上げて、大きく息を吸う。その度に16歳のくろだくんが大好きで仕方がなかった私を思い出そう。変わることのないその事実を抱きしめよう。このブローチを見て、また少し前を向けますように。未来のことを考えるのはいつだって怖いけれど、"16歳のくろだくんが好きだった私"がちゃんとここにいたと思えるから大丈夫。

 

 

マーガレットは「真実の愛」「誠実」。だとしたら、私は、私だけが大事にできる「真実の愛」を彼に向けられますように。彼の持つ「誠実」にまっすぐに向き合えますように。「好き」で始まった16歳のくろだくんを、「好き」で終えて、そしてまた「好き」で始める。この気持ちを、続けていけますように。私自身で守り続けていけますように。

 

 

 

 

 

 

くろだくん。わたしはあなたが走り続けてきたアイドルとしての時間の中に、たくさん、たっくさんいたファンの、その中のたった1人のファンでいられて、今とってもとっても幸せです。くろだくんのことをずっと第一前線で見ているわけでも何でも知っているというわけでもないけれど、くろだくんが大好きな少年忍者という人生の中で見る景色の、その中の一つの光として、少しだけ、あなたを照らせたらいいなと、微力ながらでもひとりのファンとして思っています。

 

 

これまでステージに立ち続けることを選んでくれて、続けてくれて、ありがとう。ここにいてくれてありがとう。

17歳で見る景色や感じるものがどんなものなのか、わたしには想像することもできないけれど、またどこかでくろだくんが伝えたいと思った言葉を受け取ることができたらいいな、うれしいな。きっと教えてくれることは全部、彼が感じてきた正解だと思うから。

 

 

 

16歳の一年、わたしの目の中にあったくろだくんは、一瞬足りとも霞むことなく、全部全部とびきりの格好良さと可愛さで輝いていたと、そう心の底から思う。今日もアイドルでいてくれたから、わたしはファンでいられたよ、なんて当たり前のことだけど、いつもくろだくんを見ると感じてしまう。アイドルでいてくれてありがとう。私の見る世界に、彩りを与えてくれて、ありがとう。いつだってアイドルに誇りを持ってくれてありがとう。どんなときも、心があたたかくなるような好きや、世界に煌めきが溢れるような好きをくれて、ありがとう。ああもう心の奥底から溢れる言葉がありがとう以外見つからないよ。これからもとめどなく溢れるありがとうを一つ残らず伝えていきたいな、なんていつも思っています。それじゃあ足りないかもしれないけど、改めて、とびきりの幸せを心に宿してくれて、本当に本当にありがとう。

 

 

 

 

私のなかのとびきりのアイドル、黒田光輝さん。

17歳の一年も、勝手に、一方的に大好きだよって言わせてほしい。

くろだくんにとって、好きな人たちと一緒にいる時間があったり、やりたい仕事ができたり、ゲームが納得できるまでできたり、そんなゲームする時間を惜しんで寝るときにはお布団があったかかったり、出会う人がみんな素敵な人であったり、食べたいものが食べれたり、それが全部美味しかったり、ふと外を見たときの景色が美しいものであったり、そういう一年で、毎日でありますようにと祈りを込めて。

 

 

 

 

 

 

 

17歳のくろだくんに、やわらかな愛を。

お誕生日おめでとう!

そして、いつもありがとう。

 

 

今日からまた、「好き」を始めて。

 

 

湧くんへ

ハッピーバースデー!!!湧くん!!

 

 

 

 

 

まずは、18歳の湧くん、本当に最高だったよね!!!!!!!!

 

 

わたしの目に映る湧くんはいつだってとびっきりかわいくて、大切な人を想うときは誰よりも強い眼差しで。自身の言葉で伝えてくれる重さと優しさをぎゅうぎゅうに詰めた愛から大切なものを教えてくれたりした18歳の湧くん。きっと挙げだしたらキリがないくらいに、本当に本当に18歳の湧くんに数え切れないほどの幸せを貰いました。

 

 

 

わたしはね、湧くんのことがとても好きです。とてもとても、とーっても大好きです。あなたを好きになったあの日から、あなたはわたしの中に存在し続け、影響し続け、徐々に確実にわたしを構成する一部になりました。おかしな話ですね。あなたはわたしのことを知らないのに。わたしはあなたに救われた、大勢の中のひとりです。

 

人を好きになることに、見返りを求めなかったのは初めてでした。会いたいと思う以上に、愛してくれるその姿が眩しくて、届かないところにいるその存在に安心して、幸せになってほしいなあ、なんて、漠然と思ったのを覚えています。画面の向こう側から、あんなに愛を届けられたのは初めてでした。人を応援すること、好きなアイドルがいること、こんなにも素敵な人達がいるのだと知れたこと。今振り返るとわたしの人生は少年忍者を知ったあの日から、ずいぶん鮮やかに彩られているみたいです。あなたが、メンバーを心から愛しているように、そんなあなたを、わたしも心から愛しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湧くんの好きなところをあげていきます。

 

ダンスがすきです。指先や前髪、ひらりと舞う布、隅々まで最高のアイドルな湧くんに何度でも恋に落ちます。湧くんがどの立ち位置にいようと、わたしには湧くんが一番輝いて見えます。初めて誰かのパフォーマンスが、こんなにもわたしの心に影響を与えるのだとくるしくなりました。届かないテレビの中でふうわりと笑うあなたを抱きしめることが出来たらどれだけいいだろうと夢を見ました。どのパフォーマンスも好きですが、さくらガールは特に最高にかっこよくて惚れ惚れします。指先やつま先に楽曲の色が行き届いたダンス。何度も見返したさくらガール回の少クラで踊っているあなたは、びっくりするくらい綺麗だった。わたしの中の光は、やっぱりあなたの形をしているのだと思ったし、あなたはこうして光るべくして生まれてきたのかな、なんて思った。

 

褒められなれてないところがかわいいです。人の欲しい言葉をくれるくせに、人から褒められると急に静かになってにやにやしてしまうとこがいじらしいです。甘えたような笑い方がほんとうにかわいいです。一生褒めてあげたいです。

 

まるで世界全てを愛して、世界全てを包んでしまうような、ちいさなちいさな体でめいっぱい愛したいものを愛している姿が健気で愛おしいです。世界の全てに優しいあなたに、その優しさが返ってきますように。わたしの想いが巡りに巡ってあなたの優しい心を包みますように。

 

自分にはこの道しかないと言えてしまうところ、わたしはこの広い世界でいったい何人の人が、自分の生まれ落ちた理由を確信出来るんだろうと、思わず泣きました。ああ好きだと思いました。ただただ、ただただこの人の行く先を、アイドルが自分の道だと言ってしまえるこの人を応援したいと思いました。いつか、わたしも自分の生きている理由を叫べるようになりたいです。

 

何に対しても平等で、それでいて努力を怠らないところを尊敬しています。わたしは努力することが怖くて怖くて仕方がありません。努力した先の報われなかった自分(の妄想)を見ては勝手に絶望してしまいます。でもあなたは、いつでも先陣を切ってグループ初の個人でのお仕事をたくさん掴んできました。そして誰にも文句を言わせずやり遂げてきました。かっこいいです。生き様に惚れます。自分が動くことでしか未来は動かないのだとあなたはいつでも教えてくれます。ハチャメチャにかっこいいです。わたしも、強くなりたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月26日。一生忘れないあなたの誕生日を、こうして祝えてわたしは嬉しいです。ステージ上で宇宙に広がる無数の星を掻き集めたみたいな瞳で真っ直ぐ前を見据えている湧くんを見たとき、「好きになったことは正解だった」と、思わず泣きました。あなたは、この世界には愛すべきものがたくさんあるよって、生きていればいいことがあるんだよって、そうやってわたしを救ってくれた。いつだって辛い時にはそばにいてくれた。手を伸ばしてくれたその火傷してしまうような熱に誘われて繋いだ手を後悔していません。今でもその炎はわたしの胸の中で燃えています。あなたの胸の中で少年忍者でいることの誇りが燃えているように、わたしの中で少年忍者のファンでいることの誇りがごうごうと炎をあげます。守ります。この炎だけは守り抜きます。あなたがくれた温度を冷ましはしません。あなたがずっと幸せな夢を見れるように、ちっぽけなわたしはあなたの幸せを懸命に願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に岐路が沢山ある中で、選択肢が沢山ある中で、一般人からすれば非日常であるものを日常化する道を選んでくれたこと。沢山の人に夢を与え、夢を預かり、夢を夢へと繋げる人生を選んでくれたこと。感謝でいっぱいです。アイドルとして生きる道を選択し続けてくれて本当にありがとう。数え切れないひとの夢を背負ってくれる大きな背中は今までもこれからもわたしの憧れです。あなたと同じ夢を見ることが出来てとっても幸せです。この職に就いてなかったら出来たことよりも、少年忍者だったから出来たことの数がこれからも増えていけばいいなと願うばかりです。これからもどうか同じ夢を見れますように。

 

 

愛しています。ただひたすらに愛しています。

あなたが煌めいている姿が救いです。尊く、まばゆい、眩んでしまうような光の中で、触れないまま、触れられないまま、幸せにしてくれるあなたは幸せになるべきです。幸せを、愛を与えた分、あなたを笑顔にすることがこの世界に増えてほしいです。

大好きです。どこまででもついていきます。

 

 

 

あなたの生きている世界が、ずっと優しいものでありますように。願いを込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

You're my only reason to stay alive .

I love you .

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湧くん19歳おめでとう!!!!!!

 

 

 

 

                                                           2020.11.26